私は人の方が恐いと思うよ







戦国最強と謳われるその人は、浜松城の庭の一角にて佇んでいた。
そして、今私の目の前にいる。


「…」


どうしようか、とゆっくりと溜息をつく。いや、どうしようもない。

戦国最強=本田忠勝氏は目の前で、起動していない状態にある。つまり、寝ていた。
叩いて起こすのも無粋であり、何しろ私の手が痛くなる。

そこで私は、遠くとも近くとも無い微妙な距離をとって横に座ってみた。
改めて自分が来た道を振り返ってみる。


ザビー教団は連合軍によって崩壊。以来、私は長曾我部氏のもとで暮らしている。
織田・豊臣という壁が残っているものの、今日(こんにち)の日ノ本国はおおむね平和だ。

長曾我部氏はある日私に問うた。「何かしてぇことはねぇか?」と。
私は本気で、でも叶う筈ないと冗談交じりで「全国各地を巡ってみたい」と言ってみた。
すると思いのほか簡単に「行って来い」、とのこと。
もちろん、各地の要人に挨拶を忘れるなと一言加えて。


そんなわけで、まずは三河の国を訪れた次第。

戦場でほんの数刻しか顔を合わせなかったにも関わらず、徳川氏は快く私を受け入れてくれた。
なるほど、天下を統べる器といわれるだけはある。
数ある客室の一つを与えられた私は、夕餉まではまだ時間があると聞かされ、
「ではお庭を拝見させていただきます」と会釈して散歩に出た。

そして散歩先で本田氏を見つけ、冒頭に至る。


「…」


じぃ、と彼を見つめてみる。
小さな傷跡や、やや錆びついた表面。
それらに誘われるように指を伸ばし、そぅっと撫ぜればざらりとした鉄と砂塵の感触。
手入れが行き届いていないのだろう。

ふと、汚れていては心地悪いだろうなと思い私は自室から手ぬぐいを持ってきた。

少し水に濡らしたそれでごしごしと腕を磨けば、あっという間に手ぬぐいは真っ黒に。
その黒はやや赤茶けていた―それが人の体液だと知っていた―が、不思議と怖いとは思わなかった。


有機物か、無機物か。
彼はどちらのカテゴリーに含まれるのだろう?
私には分からないが、少し彼が羨ましく思う。
きっと彼のように成れたら、面倒な人の世の生き方をせずに済むのだろう。


そんな事を考えながら、いつの間にやら本田氏の表面を一通り磨き終えていた。
白かった手ぬぐいはもう見る影もない。洗い落としても、もう使い物にはならないだろう。
特に腹は立たなかった。私が好きでやった行為の結果なのだし。

…疲れた。まだ夕餉まで時間はありそうだし、少し寝よう。
そして、勝手に拭いたばかりの本田氏には悪いが、その側面を貸してもらうことにしよう。
そっと寄りかかり瞼を閉じれば、すぐに意識は遠のいていった。


「……!」


寝息を立て始めた少女を、巨体は小さな起動音を立てて眺めていた。





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